アフリカ

マリ共和国へ!(1)

(昔の旅日記のリライトです)

マリ共和国への旅(2006年3月13日ー)

いざ出発!憧れのマリ!

ずっとずっと行きたかった砂の国。マリってどこやねん?ですよね。ここです。

マリ共和国は西アフリカでも観光要素がとても多い国で
砂でできたモスクが際立つジェンネ旧市街や、トンブクトゥなどが有名です。
(下の写真はジェンネ旧市街のシンボルのモスクです)


私が訪れた2006年の時点でも、外務省の安全情報は濃い黄色が多くて(一部、自分の行かない場所は赤でした)ギリギリ、自分の行きたい観光地は薄い黄色。行けるのか?と迷いまくり外務省のページを見る日々が続いていました。

当時の外務省からの概況
「マリ北部地方では、外国人観光客らが武装強盗団に殺害されたり金品を強
奪される事件が多発しております。因みに、2004年には赤十字関係者や保健
センター等の関係者が武装集団に襲撃され、2005年には長距離バスやガオの
地域議会議長の車両が武装集団に襲撃されるなど、北部地方の治安情勢は未
だ不安定な状況にありますので十分注意してください。」そして地域情勢は地域情勢
北部4地方(モプチ、ガオ、キダル及びトンブクトゥ−)
「十分注意してください。」マリ北部地方では、トアレグ族による反政府独立闘争のため長期にわたっ
て激しい戦闘が繰り返されてきました。(中略)しかしながら、依然として同地域の治安は改善されず、武装集団による強盗事件等が幹線道路を中心に発生しています。特に観光客が増える乾季(11月から3月)には、四輪駆動車に乗った観光客や経済協力関係者等を対象とした事件が顕著です。2003年には、部族紛争に起因して、アルジェリア国境に近いサハラ砂漠において欧米人観光客31人が誘拐され(うち1人が死亡)ました。

うーーん。ウーーーーーーン。

旅行に行きたくて仕方がないので、風水師に方角を見てもらった。
(今思うと、なぜそんなことをしたのかわからないw)
.
風水師の「うーん。方角がよくないねえ・・・」の一言でちょっとケチがついたような気がしていた。(大丈夫と言って欲しかっただけw。じゃあ、聞くなよ!ということですね)

でもこのチャンスを逃したら、もう私はマリにいくことはないのでは、とおもいやっぱり、いくことにきめた(じゃあ占いするなよwなんですけれど)

その頃、マリへはセネガルのダカールを経由して行くのが一般的だったのだけど
(22万円前後)私は航空券を調べまくって

大韓航空   大阪ーソウル経由ーフランス(パリ) 92,880円
エアフランス  フランスパリーマリ(バマコ) 84,450円合計 18万円弱

で決定。これが一番安かった。予想通り植民地になったところはその国に子孫がいるはずで
きっとその里帰り便とか商業用とかがあるはず!!!と検索したら他のルートより安かった。

準備で大変だったこと

①黄熱病の予防注射

何が辛かったって、マリに行くには黄熱病の予防注射が必要で、2回打つんですけどこの副作用というのでしょうか。ふらふらになりました。結局出発までに体調が戻らなくて
とてもしんどい思いをしました。(黄熱病予防注射 8530円)みなさん、ギリギリにうたないようにしましょう。
②蚊帳
マリ共和国にはマラリアを媒介する蚊がおりまして、旅行者でもマラリアになったりします。予防薬はないので、単純に蚊にさされないようにするしかないんですけどそんなことはまあできないわけで。一人旅なのでホテルだと高くつくためホステルを選んだのですが、蚊帳だけは準備しておきたい・・と 住友化学の「オリセットネット」を取り寄せました。これはマラリア予防のために開発された蚊帳で、ポリエチレンにピレスロイドという防虫剤を練りこんでつくられたもの。アフリカでは難民キャンプなどで配られているそうですが「どうせ買うならこれがいいw」とサラリーマンマネーを投入!2万という当時、蚊帳にかけるお金にしてはバカ高い資金をつかいましたw
ちなみに後日談になりますが、私がつかったのはたった2回です(めんどくさくなったw)

ABOUT ME
ねねやん
旅バカねねやんです。三度の飯も旅も好き。大学時代からバックパッカーデビューし、何十年うろうろしています。新しい土地、文化、異なる言語や習慣の人々に出会うのが大好き。生来の忘れん坊で、旅行に行った後に記憶を80%ほど無くしますw 都合のいい健忘症を発症してしまうため老後の楽しみ用、自分の忘れんぼ用、そして誰かの参考になったらいいなぐらいに書いています。炭水化物と甘いものがすき